阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいからきょうで23ねん

2018ねん01がつ17にち 0725ふん NewsWebEasy
仮名がなレベル

6434にんくなった阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいから、17にちで23ねんです。
神戸市こうべしなどおおきな被害ひがいけた地域ちいきでは、地震じしんきた午前ごぜん46ふんわせて遺族いぞくなどがもくとうし、犠牲者ぎせいしゃいたみました。

このうち神戸市こうべし中央区ちゅうおうく公園こうえん東遊園地ひがしゆうえんち」では、およそ7000ほんたけとうろうにかりがともるなか遺族いぞく当時とうじ被災ひさいしたひとたちなどがもくとうし、犠牲者ぎせいしゃいのりををささげました。

神戸市こうべしでは17にちあさあめっていて、かりがえてしまうろうそくもあり、あつまったひとたちが、あめからとうろうをまもろうとかさおお姿すがたられました。

このあと、敷地内しきちない慰霊碑いれいひまえでは、神戸市こうべし主催しゅさいする追悼ついとうのつどいがひらかれ、神戸市こうべし須磨区すまくちぇ敏夫としおさん(76)が遺族いぞく代表だいひょうとして追悼ついとう言葉ことばべました。

ちぇさんは、53さいのときの震災しんさい須磨区すまく自宅じたく全壊ぜんかいし、当時とうじ20さい大学生だいがくせいだった次男じなん秀光ひでみつ(スグァン)さんをくしていて、「二男じなんくし、いえかれ、全財産ぜんざいさんうしない、ゼロからの出発しゅっぱつではなくマイナスからの出発しゅっぱつかなしくつらいものでした」とかえりました。

そのうえで、「かなしみをのりえ、あかるくやすこころしてみよいまちづくりをめざし頑張がんばることがわたしのつとめであり、息子むすこのためでもあります。『アボジ(ちち頑張がんばっているな』と、息子むすこのひとこときたいです」といまおもいをかたりました。

17にち各地かくち追悼ついとう行事ぎょうじおこなわれるほか、避難ひなん訓練くんれん防災ぼうさい講演会こうえんかいなども予定よていされ、犠牲者ぎせいしゃいたむとともに震災しんさいつぎ世代せだいに「つたえる」ためのみが1にちとおしてつづきます。

あめ参加者さんかしゃすくなく

神戸市こうべしによりますと、神戸市こうべし中央区ちゅうおうく公園こうえん東遊園地ひがしゆうえんち」でおこなわれている追悼ついとうのつどいにおとずれたひとは、午前ごぜん時点じてんでおよそ3700にんで、あめ影響えいきょう例年れいねんくら来場者らいじょうしゃすくなくなっています。

つどいの来場者らいじょうしゃすう時間別じかんべつにまとめるようになった平成へいせい20年以降ねんいこう午前ごぜん時点じてん人数にんずうとしては平成へいせい20ねんのおよそ4500にん下回したまわり、もっとすくなくなっています。

どもたちにつたえたい

つまと3にんどもをれて東遊園地ひがしゆうえんちおとずれた久保くぼあきらさん(45)は、大学だいがく年生ねんせいのとき、当時とうじんでいた神戸市こうべし垂水区たるみく自宅じたく地震じしんにあいました。久保くぼさんは「家族かぞく全員ぜんいん無事ぶじでしたが、9さい長男ちょうなんまれてから毎年まいとし、ここにています。どもたちに震災しんさいのことをつたえ、おしえていきたい」とはなしていました。

兵庫県ひょうごけん芦屋市あしやし百々とど孝治こうじさん(62)は「震災しんさい当時とうじ神戸市こうべし東灘区ひがしなだくんでおり、つまと2歳半さいはんむすめ全壊ぜんかいした自宅じたく下敷したじきになってくなりました。震災しんさいわすれてはいけないというおもいで毎年まいとし、つどいに参加さんかし、ろうそくをともしながら『のこされたわたしは、日々ひび頑張がんばっていますよ』と報告ほうこくしています。災害さいがいきても人命じんめいまもり、被害ひがいすこしでもおさえるようにすることが社会しゃかい課題かだいだとおもいます」とはなしていました。

23年前ねんまえ神戸市こうべし長田区ながたく自宅じたく地震じしんにあった佐向さこう七郎しちろうさん(76)は「震災しんさいではちかくにんでいたあにつまくなりました。銘板めいばん名前なまえきざまれているので、毎年まいとし、ここにています。阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいだけでなく、全国ぜんこく各地かくち災害さいがい被害ひがいにあったひとおもっていのりをささげました」とはなしていました。

神戸市こうべし東灘区ひがしなだく自宅じたく地震じしんにあった山谷やまたにつやさん(78)は「当時とうじ、26さいむすめと2にんらしでしたが、倒壊とうかいした自宅じたく下敷したじきになり、むすめくなりました。むすめいのちたすけられたようなもので、『ありがとう』といたい」とはなしていました。

神戸市こうべし垂水区たるみく自宅じたく地震じしんにあった相川あいかわ尚子なおこさん(54)は「自宅じたく被害ひがいはほとんどありませんでしたが、友人ゆうじんなかにはけがをしたひともいました。23ねんがたって神戸こうべまちはきれいになり、私自身わたくしじしん震災しんさい記憶きおくうすれてきているので、きょうは、わすれないためにももくとうしたいとおもって、やってました」とはなしていました。

当時とうじ通勤つうきん途中とちゅう被災ひさいし、自宅じたく損壊そんかいしたという神戸市こうべし東灘区ひがしなだくの54さい会社員かいしゃいん男性だんせいは「くなった方々かたがたに、わたしたちは元気げんきにしているとつたえたいおもいで、ろうそくにかりをともしました。震災しんさい現実げんじつってもらいたいと、毎年まいとしどもたちと参加さんかしています」とはなしていました。男性だんせいおとずれた19さい長女ちょうじょは「震災しんさい経験けいけんしておらず、写真しゃしんなどで当時とうじ様子ようす想像そうぞうえるものばかりです。まわりの同世代どうせだいがつどいにあまり参加さんかしていないので、震災しんさいのことを理解りかいし、つたえていく1にんになりたい」とはなしていました。

兵庫県ひょうごけん明石市あかしし会社員かいしゃいん渡部わたべはなさん(24)は「会社かいしゃ異動いどう東京とうきょうから兵庫県ひょうごけんて2ねんになり、ことしはじめて東遊園地ひがしゆうえんちました。阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい教科書きょうかしょなどでていましたが、授業じゅぎょうでしからなかったので、被災ひさいしたひとのことをじかにかんじたかった。地震じしんきたあさ46ふんはすごくさむかったとおもうし、とてもきびしい状況じょうきょうだったとおもいます」とはなしていました。

当時とうじ神戸市こうべし長田区ながたく自宅じたく地震じしんにあった中塚なかつか久子ひさこさん(49)は「家族かぞくには被害ひがいはありませんでしたが、長田区ながたくきた大規模だいきぼ火事かじわすれることができません。きょうは地震じしんくなったほうのご冥福めいふくいのりにました」とはなしていました。

児童じどうにん犠牲ぎせい小学校しょうがっこうもくとう

阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいで3にん児童じどう犠牲ぎせいになった神戸市こうべし東灘区ひがしなだく小学校しょうがっこうで、児童じどう保護者ほごしゃ地震じしん発生はっせいした時刻じこくわせてもくとうしました。

神戸市こうべし東灘区ひがしなだく本山ほんざんだい小学校しょうがっこうでは、震災しんさいの2年後ねんごから毎年まいとし犠牲者ぎせいしゃ追悼ついとうする「もくとうのかい」をひらいてきましたが、地域ちいきひとわり、震災しんさい経験者けいけんしゃったことから、去年きょねん開催かいさいりやめることがいったんまっていました。

しかし、地域ちいきひとたちのつづけることになり、17にち学校がっこう児童じどう保護者ほごしゃなどおよそ150にんあつまりました。あつまったひとたちは、あめつづなかちいさなろうそくをに1ぽんのろうそくをかこんでおおきなになり、地震じしんきた時刻じこくおな午前ごぜん46ふん一斉いっせいもくとうしました。そして、校庭こうてい一角いっかくにあるくなった児童じどうにん慰霊碑いれいひにろうそくをそなえ、わせていました。

もくとうのかい」の開催かいさい尽力じんりょくしたボーイスカウトの三枝さえぐさ大介だいすけさんは「どもたちがあつまることで、これからの世代せだい震災しんさい記憶きおくいでいきたい」とはなしていました。

さい息子むすこ参加さんかした、芦屋市あしやしむ30だい女性じょせいは「息子むすこには、たくさんのひとくなった震災しんさいわすれずに、いま生活せいかつ感謝かんしゃしてごしてほしい」とはなしていました。

北淡ほくだん震災しんさい記念きねん公園こうえん追悼ついとう

阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいこした地震じしん震源地しんげんちちか淡路島あわじしま北部ほくぶ公園こうえんでは、震災しんさいくなったひといたんで合唱がっしょうおこなわれました。

兵庫県ひょうごけん淡路市あわじしの「北淡ほくだん震災しんさい記念きねん公園こうえん」には、地震じしん地表ちひょうあらわれた野島のじま断層だんそう一部いちぶ保存ほぞんされ、犠牲ぎせいになったひとたちの慰霊碑いれいひてられています。

17にち遺族いぞくなどおよそ200にんあつまり、公園こうえんいけたけつくったとうろうをかべ、淡路島あわじしまくなった63にん追悼ついとうしました。そして、地震じしんきた午前ごぜん46ふんもくとうをしてから、阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいからの復興ふっこうねが平成へいせいねんにつくられたうた「しあわせはこべるように」を合唱がっしょうしました。

主催者しゅさいしゃによりますと、「しあわせはこべるように」は震災しんさいきたとしからうたわれており、震災しんさい記憶きおく風化ふうかさせないよう今後こんごうたつづけたいというおもいをめて、合唱がっしょうしたということです。

淡路あわじ市内しない被災ひさいし、現在げんざい震災しんさいかたをしているという女性じょせいは「震災しんさいいえなかめられたときは本当ほんとうこわかった。震災しんさいらない世代せだいおおく、当時とうじ記憶きおく教訓きょうくんをこれからもつたえていきたい」とはなしていました。

また、北淡ほくだん震災しんさい記念きねん公園こうえん米山よねやま正幸まさゆき総支配人そうしはいにんは「わか世代せだい震災しんさいから復興ふっこうしたきれいなまちしからない。一日いちにち一日いちにち大切たいせつきて、これからも当時とうじかなしみやくやしさを発信はっしんつづけたい」とはなしていました。

※プログラムでふりがなをけっているので、 間違まちがっている場合ばあ いもあります。