ユネスコ「世界の記憶」に「朝鮮通信使」と「上野三碑」

2017年10月31日 06時53分 NewsWebEasy
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世界各地に伝わる古文書などを人類の財産として保護するユネスコの「世界の記憶」に、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑「上野三碑」(こうづけさんぴ)が新たに登録されることになりました。

ユネスコの「世界の記憶」は世界各地に伝わる貴重な古文書や映像などを人類の財産として保護する事業です。

ことしの審査の結果、日本と韓国の民間団体が共同で申請した、江戸時代に朝鮮半島から派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する歴史的な資料と、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑、「上野三碑」の登録が認められました。

このうち、朝鮮通信使は朝鮮王朝の国王が日本へ国書を渡すために派遣した外交使節団です。江戸時代には徳川将軍の代替わりなどに12回にわたって派遣され、当時の対馬藩が幕府の仲介役を担って受け入れの窓口となり、韓国南部のプサン(釜山)を経て対馬に入った使節団を江戸まで案内しました。使節団の規模は回ごとに違いましたが、多いときで儒学者や医師、画家などおよそ500人で構成され、日本人との交流に努めました。朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって途絶えていた交流を復活させただけでなく、鎖国政策をとっていた江戸時代の日本にとって、海外の珍しい文化に接する機会だったという見方もあります。

また、「上野三碑」は、7世紀から8世紀にかけて群馬県高崎市で作られた3つの石碑で、当時の社会制度や東アジアとの文化交流を示す貴重な史跡です。

一方、同じく申請していた第2次世界大戦中に日本の外交官だった杉原千畝がユダヤ人を救うために発給したビザに関する資料は登録されませんでした。

ユネスコの「世界の記憶」にはこれまで国内から、京都府舞鶴市のシベリア抑留に関する資料などあわせて5件が登録されています。

※プログラムでふりがなをけっているので、 間違まちがっている場合ばあ いもあります。