中国では、最高指導部を選出する共産党の中央委員会総会が25日開かれ、習近平国家主席が党のトップの総書記に再選されるとともに、合わせて7人の最高指導部のメンバーが決まり、習主席は、内外の記者団の前で、2期目に向けた決意を示しました。


中国では、5年に1度の共産党大会が閉会したことを受けて25日、共産党の中央委員会総会が開かれ、党のトップ、総書記に習近平国家主席を再選し、李克強首相も留任させたほか、新たな最高指導部のメンバー、政治局常務委員を選出しました。

新たな最高指導部は、これまでと同じ7人で、習主席と李首相のほか、5年前から党の要職に就き、習主席の側近として仕えてきた栗戦書氏、習主席の下で経済担当の副首相を務め、アメリカとの貿易交渉などを行ってきた汪洋氏、政策ブレーンとして外遊に常に同行するなど習主席を支えてきた王滬寧氏、人事を取りしきる党の中央組織部長として習主席の基盤固めに尽力した趙楽際氏、上海市で一貫してキャリアを積み、かつて習主席が上海市のトップを務めた際に部下として仕えたこともある韓正氏が選ばれました。

総会終了後、習主席は、最高指導部のメンバーとともに内外の記者団の前に姿を現し、1人ずつ紹介したうえで、「われわれは必ず職務を果たし、勤勉に働き、使命に恥じず、期待を裏切らないようにしていく」などと述べ、2期目に向けた決意を示しました。

習主席は、みずからが信頼を置く人物を登用し、大きな権力を集中させる形で2期目の指導部を発足させました。


汚職撲滅のトップに趙楽際氏

25日開かれた中国共産党の中央委員会総会で最高指導部入りした趙楽際氏が、党の幹部の汚職などを摘発する中央規律検査委員会のトップの書記に就任しました。

趙氏は、これまで汚職撲滅を指揮し、習近平国家主席の権力掌握を助けた王岐山氏の後任になります。趙氏はこれまで中央規律検査委員会の役職に就いたことはありませんが、党の人事を取りしきる中央組織部長として、中央規律検査委員会と協力し汚職摘発を行ってきたことから登用されたものと見られます。


序列2位 李克強氏

李克強氏は安徽省出身の62歳、文化大革命の時期の10代後半に安徽省内の農村に「下放」され、1976年に共産党に入党しました。

文革後に再開された大学入試で難関を突破して名門の北京大学に入学し、法律を学んだあと、共産党の青年組織、共青団=共産主義青年団に参加しました。

共青団では、当時トップを務めていた胡錦涛前国家主席から厚い信頼を得て、1985年には胡氏が団長を務めた青年代表団のナンバー2として日本を訪れています。

1993年からは、みずからも共青団トップの第1書記を務めました。1999年に、当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にトップの書記に就任しました。

2004年には遼寧省のトップの書記を務めるなど、地方でキャリアを積み重ねました。そして胡錦涛指導部の下、2007年の党大会で、習近平氏とともに、異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされ、習氏のライバルとして注目されました。

5年前の党大会で、習指導部の序列2位となり、現在、首相を務めています。中国の経済成長が減速する中で、構造改革を前面に打ち出す経済政策を掲げ、李氏の名前にちなんで「リコノミクス」と言われました。また各地に規制の緩和を行う「自由貿易試験区」の設置などを進めました。

李氏は、2期目の習指導部でも政治局常務委員に留任し、党の序列は2位です。


序列3位 栗戦書氏

栗戦書氏は、河北省出身の67歳、1975年に共産党に入党し、地元の河北省でキャリアをスタートさせました。

20年余りの河北省在任中、共産党の青年組織、共青団=共産主義青年団の地方組織でトップを務めました。この間の1982年から3年間、今の国家主席の習近平氏が隣の県に勤務していたことから、親交を深めたとされています。

1998年に陝西省に移り、人事を取りしきる省の組織部長や西安市トップの書記などを務めたあと、2003年に黒竜江省に転任し、ナンバー2の省長などを務めました。

2010年からは貴州省トップの書記を務め、2012年の党大会で党の政治局委員に選ばれました。そして習主席を補佐する党の中央弁公庁トップの主任と、党内の事務全般を統括する「中央書記処」の書記を務めてきました。

栗氏は、習主席が外国を訪問する際などに同行するいわば秘書役で、習氏の信頼が厚いとされています。

栗氏は、2期目の習指導部で政治局常務委員に昇格し、党の序列は3位です。


序列4位 汪洋氏

汪洋氏は、安徽省出身の62歳、地元・安徽省の食品工場で労働者として働いたあと、1975年に共産党に入党し、共産党の青年組織、共青団=共産主義青年団の幹部を務めました。

その後、安徽省で順調にキャリアを重ね、1999年に初めて中央に転任し、経済政策などを担当する国家発展計画委員会の副主任や、中国政府の閣僚の取りまとめ役、国務院秘書長を補佐する副秘書長などを務めました。

そして2005年から北京市や上海市と並ぶ直轄市である重慶市トップの書記として実績を挙げ、2007年の党大会で一気に党の政治局委員に抜てきされました。

2007年には広東省トップの書記に就任し、地域経済の構造改革に手腕を発揮したあと、2013年に副首相に就任しました。

汪氏は、アメリカのトランプ政権との間の「経済対話」に中国側の代表として出席するなど、経済分野のエキスパートとしての手腕が評価されています。

汪氏は、2期目の習指導部で政治局常務委員に昇格し、党の序列は4位です。


序列5位 王滬寧氏

王滬寧氏は、山東省出身の62歳、上海の名門、復旦大学で国際政治を研究し、卒業後も大学に残って国際政治を教え、教授や法学院長などを歴任しました。この間、アメリカの大学で客員研究員も務めました。

1995年に重要政策の調査・研究や指導部への助言を行う党の「中央政策研究室」に移り、重要文書の起草に携わるようになりました。当時の江沢民元国家主席が外国を訪問したり国際会議に出席したりする際に同行するようになり、最高指導部の政策ブレーンとしての地位を築いていきました。

王氏は、2002年に胡錦涛前国家主席の下で「中央政策研究室」トップの主任に昇格し、2012年には党の政治局委員に抜てきされたあと、習近平国家主席にも重用され、3代の最高指導者に仕えました。

王氏は、中国の指導部が執務を行う北京中心部の「中南海一の知恵袋」とも言われるなど、信頼は厚く、政策決定にも大きな影響力があるとされています。

王氏は、2期目の習指導部で政治局常務委員に昇格し、党の序列は5位です。


序列6位 趙楽際氏

趙楽際氏は青海省生まれの60歳、1975年に共産党に入党したあと、北京大学で哲学を学びました。その後、地元・青海省に戻り、20年余りにわたってキャリアを重ね、この間、共産党の青年組織、共青団=共産主義青年団にも参加しました。

2000年に42歳の若さで青海省ナンバー2の省長に、2003年にはトップの書記に昇格しました。2007年からは陝西省トップの書記を務めたあと、2012年に党の政治局委員に選ばれました。

5年前の党大会以降、党の人事を取りしきる中央組織部長に就任したほか、党内の事務全般を統括する「中央書記処」の書記などの要職を務めてきました。

趙氏は2期目の習指導部で政治局常務委員に昇格し、党の序列は6位です。趙氏は党の幹部の汚職などを摘発する中央規律検査委員会のトップの書記に就任します。


序列7位 韓正氏

韓正氏は浙江省出身の63歳、1979年に共産党に入党したあと、一貫して上海市でキャリアを積み、この間、共産党の青年組織、共青団=共産主義青年団の地方組織の幹部も務めました。

2003年には48歳の若さで上海市ナンバー2の市長に就任し、在任中の2006年には当時のトップだった上海市の書記が汚職事件の責任を問われて解任され、一時、書記代理兼市長を務めました。その後、解任された書記の後任に選ばれたのが、今の国家主席の習近平氏で、韓氏は副書記兼市長として習氏を支えました。

韓氏は2010年に開催された上海万博の成功に尽力し、その後、2012年に上海市の書記に昇格するとともに、党の政治局委員に選ばれました。

韓氏は、一貫して上海でキャリアを積み、上海が地元の江沢民元国家主席とのつながりを指摘する声もありますが、習氏が推し進める反腐敗の取り組みを支持する発言を繰り返していました。

韓氏は2期目の習指導部で政治局常務委員に昇格し、党の序列は7位です。

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