被爆者運動立ち上げ 日本被団協の谷口稜曄氏が死去

2017年08月30日 17時28分 NewsWebEasy
仮名がなレベル

72年前、長崎市に投下された原爆で背中が真っ赤に焼ける大やけどを負い、その後、被爆者運動に立ち上げから加わった日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄代表委員が、30日朝、がんのため亡くなりました。88歳でした。

谷口稜曄さんは、昭和20年8月9日、16歳の時、長崎市の爆心地から1.8キロの地点で被爆し、背中が真っ赤に焼ける大やけどを負って生死の境をさまよいました。

谷口さんは、被爆から10年後に同じ境遇の若者たちと「長崎原爆青年会」を結成したほか、平成18年からは「長崎原爆被災者協議会」の会長を、平成22年6月からは全国組織の「日本被団協」の代表委員を務め、一貫して被爆者の援護と核兵器の廃絶を訴え続けてきました。

平成22年5月に国連本部で開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議では、背中にやけどを負った被爆当時の写真を掲げて、核兵器廃絶への切実な願いを各国の代表団に訴えました。

谷口さんは、ことし7月、核兵器の開発や保有、使用などを法的に禁止する初めての国際条約が採択されたことを「非常に喜ばしい」と評価しながらも、「核兵器の非人道性を身をもって知っている被爆者が1人もいなくなった時に、どんな世界になっていくのかが心配だ」と懸念を示していました。

谷口さんは30日朝、入院先の長崎市内の病院でがんのため亡くなりました。

日本被団協 田中代表委員「運動を次世代に継承」

亡くなった谷口稜曄さんについて、日本被団協の田中煕巳代表委員は「ふだんは寡黙だが、短い言葉で印象に残る発言をされる人だった。入退院を繰り返しながら大事な会議や会見はできるかぎり出席され、核兵器をなくしたいという執念が谷口さんを動かしてきたんだと思う」と振り返りました。

また、印象に残ることとして、7年前、国連本部で開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議で谷口さんが各国の代表を前にスピーチしたことを挙げ、「背中が真っ赤に焼けた被爆当時の写真を示しながら、核兵器の廃絶を訴えたことは世界に大きなインパクトを与えた」と話しています。
そのうえで、「谷口さんが亡くなったことは被爆者運動を進めるにあたって大きな損失だが、運動を次世代に継承していきながら、核兵器の廃絶を訴え続けていきたい」と話していました。

広島県被団協 坪井理事長「功績に敬意」

同じ代表委員として長年活動をともにしてきた広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会の理事長を務める坪井直さんは「ともに被爆者のために力を尽くしてきた仲間を失い、非常に残念です。これまでの功績に敬意を表します。核兵器廃絶に向けて、少なくなった人間で頑張っていきたいと思います」というコメントを出しました。

被爆者団体は

長崎の5つの被爆者団体の1つ「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」の川野浩一議長は「核兵器禁止条約が採択されたが、リーダーシップを発揮すべき日本政府が参加しなかったことが、谷口さんとしてはいちばん悔しくて心残りだと思います。ここまでがんばってくれた谷口さんのためにも、『禁止条約を広める活動を着実にやりとげます』という言葉を送りたい」と話していました。

被爆者の朝長さん「日本を代表する被爆者」

ことし、ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の交渉会議に参加した、被爆者で長崎原爆病院の名誉院長を務める朝長万左男さんは、谷口さんとともに核兵器廃絶を訴える活動を行ってきました。
谷口さんが亡くなったことについて、朝長さんは「1か月半ほど前にお見舞いに行った時は、体調はよさそうだったので非常に残念です。谷口さんはみずからの体験をもとに『核兵器は悪魔の兵器だ』と世界中の人々に訴えてきた、日本を代表する被爆者でした」と話していました。

カナダ在住 サーロー節子さん「尊い闘士失った」

国連などの場で核兵器廃絶を訴えてきたカナダ在住の広島の被爆者、サーロー節子さんは「ことしの秋にもまたお会いしたいと話していましたが、果たせず本当に残念です」と話していました。
また、谷口さんについて「口かずが少ない中にも言葉の一つ一つに重みがあり、心の内側に強い芯のある被爆者の中でも特別な存在でした。尊い闘士を失ったという思いで肩から力が抜けたように感じます」と話していました。

長崎市長「喪失感でいっぱい」

長崎市の田上富久市長は「先週の金曜日にお見舞いに行ったとき、来月20日に国連本部で行われる核兵器禁止条約の署名式に出席することを報告しました。長崎にとって、かけがえないのない人を失い、喪失感でいっぱいです」と話していました。

また、「谷口さんの訃報を受けて、被爆者のいる時代の終わりが近づいていると感じました。同じことが二度と起きないように、そして被爆者が生まれないように、命をかけて取り組んできた谷口さんの思いを受け継ぎながら、そして思い起こしながら、しっかりとバトンを途切れさせることなく、繋いでいくことが谷口さんへの感謝を伝えることになると思います」と話していました。

ことし、核廃絶を求める署名を国連のヨーロッパ本部に届ける「高校生平和大使」に選ばれた長崎東高校2年の溝口祥帆さんと長崎北陽台高校2年の溝上大喜さんはヨーロッパ訪問を前にした先月26日、谷口さんの病床を訪ねていました。

国連で谷口さんの「赤い背中」の写真を掲げることを伝えると、谷口さんは何度も「頑張ってください」と声をかけたということです。谷口さんが亡くなったことについて、溝口さんは「あまりに突然で驚きました。すごく残念です」と話していました。

そのうえで、見舞った際に谷口さんから言葉をかけてもらったことについて「私たちに核兵器廃絶を望む思いを託してくれたと思います。私たちがしっかりと谷口さんの思いを引き継いで、長崎が最後の被爆地になるよう核兵器のない平和な世界にしたい」と話していました。

また溝上さんは、「突然で、まだ心の整理ができていません。私たちにとって谷口さんがどれだけ大きな存在だったのか身にしみて感じています」と話していました。そのうえで「谷口さんの思いが私たちにバトンタッチされたように感じています。これから私たちの世代が、谷口さんを含め多くの被爆者の経験や思いをしっかりと伝えていかないといけない」と話していました。

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